■ 「捨てること」が正義のように語られる時代に
いまの時代、「持たない暮らし」が称賛されることが多いですよね。
SNSでは、すっきりと片づいた部屋、モノを持たない生活、シンプルなファッション。
“軽やかに生きること”が、まるで幸せの証のように語られています。
でも、ふと立ち止まって考えたことはありませんか?
捨てることばかりに気を取られて、心まで削っていないだろうか?
羽田圭介の小説『滅私』は、そんな問いを鋭く投げかけてくる作品です。

■ あらすじ:モノを手放すほど、心も軽く…なるはずだった
主人公・冴津は、極端なミニマリスト。
モノを減らし、無駄を省き、「愛着が湧く前に捨てる」ことを信条に生きています。
生活は整然とし、SNSではその様子を発信して“身軽な生き方”として支持を得ている。
しかし、そんな暮らしの中に不思議な空虚さが漂っている。
何かを得るたびに、彼は捨てる。
人との関わりも、思い出も、執着も――。
やがて現れた“過去を知る人物”との再会によって、彼の世界に小さなひびが入ります。
捨てることを続けていった先に、何が残るのか。
それが『滅私』の大きなテーマです。
■ 「ミニマリズム」という理想が抱える影
羽田圭介は、この物語を通して「身軽さの裏にある孤独」を描き出しています。
ミニマリズムは決して悪ではない。
けれど、「持たないこと」自体が目的になったとき、人はいつの間にか自分の心まで削ぎ落としてしまうのかもしれません。
冴津は、自由を求めながらも、どこか冷たく、他者を拒むような生き方をしています。
彼の姿は、効率や合理性を優先する現代人の縮図。
便利で軽い社会の中で、私たちは人としての重さを手放してはいないだろうか――。

■ 「何を持たないか」より、「何を残すか」
『滅私』を読んで感じたのは、
「何を持たないか」よりも「何を残すか」が、人生を豊かにする鍵だということです。
誰かとの思い出。
季節ごとに変わる風景。
贈られた言葉や、心の動き。
「センチメンタルバリュー」という言葉がある。
大切な人から送られたお菓子の包み紙。他人から見ればただの紙切れではあるが自分にとっては大切な思い入れのある価値のある品である。
そうした“余白”や“重み”こそが、人を人らしくしてくれる。
それを失ってしまえば、どれほど身軽になっても、心は寒いままです。
羽田圭介の描く冴津の姿は、私たちにその大切さを思い出させてくれます。
■ 終わりに:身軽さよりも、ぬくもりを
『滅私』は、決して読みやすい癒しの小説ではありません。
静かで、少し冷たい。
けれどその中に、「生きるとは何か」という温かい問いが潜んでいます。
モノを減らすこともいい。
でも、心の豊かさまで減らしてしまっては意味がない。
身軽さよりも、血の通ったぬくもりを大事にして生きたい――
そんな想いを、読み終えたあとに静かに感じる一冊です。



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